こんにちは!転勤族のするめです!
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時は令和ですね。
僕が福井県で勤務していた時、嘘のような本当ですが、田舎道を旗を持ち上げた暴走族が走っていました。
実際そこまで害はなかったんですが、令和の世の中でまだいたんだと思いました。
その中でリーゼントのミキハウスを着たヤンキーがいたのですが、ミキハウスって子供服じゃなかったっけ?と思い、ネットで調べました。
ミキハウスについて
まずミキハウスについてですが、子供服で有名なブランドです。
知らない人はいないんではないでしょうか?
ミキハウスとは
創業者が現社長の木村皓一が、1971年(昭和46年)に大阪でベビー子供服の製造卸を行う『三起産業』を創業する。その後。1978年(昭和53年)に改組、現社名に改めると共に『MIKI HOUSE』(ミキハウス)を冠した子供服のSPAで勢力を拡大し、海外にも多数出店を行う。
主に子供服を中心としたアパレル事業がメインだが、グループ企業(10社)によりベビー総合プロデュース事業を始め、他にも出版・教育・外食事業もおこなっている。
引用:Wikipedia
僕が子供の頃にはすでにミキハウスといえば子供服でしたが、1971年創業でちょうど50年ぐらいですね!
となると80年代は子供服とヤンキーファッションとイメージが入り乱れていたんでしょうか?
あらためてミキハウスの子供服を画像検索などで見たんですが、可愛らしい洋服が一覧で出てきました。
インターネット上での反応
昭和のヤンキーがミキハウスを愛用していたのをしたのが、その一件があり、福井県に勤務していた頃の職場の上司に聞いたところ
昔の怖そうなお兄さんはミキハウス着てたよ。でもなんで着てたっけ?
という回答でした。
さらに気になったので、ネットの反応も見てみました。
実際のところ参考文献が見当たらず
僕は気になることがあれば、すぐにネットで検索する癖があるんですが、早速ネットで調べました。
しかし有力な記事は見つかりませんでした。
ただ世代で言うと昭和40〜50年代生まれの方が高校生ぐらいの頃のヤンキーファッションで親しまれていたようです。
なので80年代ごろのヤンキーファッションだったようです。
僕は80年代生まれなので知らなかったです・・
なぜ昭和のヤンキーがミキハウスを親しんでいたのか知恵袋などでそれらしい情報を発見しました。
ミキハウスの優秀な機能性
あるサイトで発見しましたので、抜粋します。
ヤンキーの民族衣装は『ミキハウス』とよばれる。鮮明な赤系色を中心とし、平原の遠方からでも十分に視覚できるように工夫がなされている。また汗を吸収するために木綿素材を用いており、柔らかく、運動に適した形状をしている。
引用元:http://www.han.org/b/yankee.html
僕自身、ヤンキー漫画をあまり読んだことがなく、実際ヤンキーの集団同士で争っていたのかも正直なところ漫画の世界だけと思っていました。
引用元での説を読む限りでは視覚的な色味や素材で親しまれていたのかもしれませんね。
将来家族でミキハウスを着る憧れ
これはYahoo知恵袋にあった説なんですが、面白かったので抜粋しました(笑)
ヤンキーは若いうちに早く結婚するので、家族でお揃いで着れるようにその憧れから。
という回答も発見しましたが、変に納得しました(笑)
ヤンキーは精神的な自立が早いのか、確かに地元でヤンキーだった同級生も20代前半までに結婚している人が多かったです。
たしかに心理的にはあり得なくはない説だと思いました。
大人向けもオシャレなミキハウス
極論にはなりますが、ミキハウスのファッション性が80年代ヤンキーの心惹かれたからと言うのも考えられます。
実際ミキハウスのデザイン性いいですしね。
僕もあらためてミキハウスの大人向けのファッションを見てたんですが、普通に良いと思いました!
令和の世の中、ファッションもユニクロ、無印、ブランド物など選択が多くなり、子供服以外でミキハウスをあまり見かけたことがなかったですが、今回のこの疑問から色々ミキハウスのファッションを見るようになり、一つ視野が広くなったような気がします。
まとめ
最後にまとめです。
- ミキハウスが昭和のヤンキーファッションだったのは本当だった。
- ミキハウスは子供服以外も展開している。
- 80年代で昭和50年代生まれの方々に親しまれていた。
- ミキハウスの機能性、デザイン性などで親しまれていた。
こんな感じで今後も生活の中での疑問を調べてみたり、発信していこうかと思います!